猪俣山 正円寺

正円寺の山号は猪俣山、院号は歓喜院、宗派は真言宗単立となっています。

開山・開基などは不詳です。 元は聖天宮(現二柱神社)の別当で、猪俣氏代々の崇拝した社とされています。
神仏分離後は正円寺と称し、江戸時代に僧・宗清が中興開山されたと伝えられています。

本堂内の様子です。正円寺本尊の十一面観自在菩薩が祀られています。

正円寺境内です。豊かな自然が織りなす深い緑を背景に、大きな鐘楼堂がひときわ目を引きます。

落慶記念碑

当山は開創詳らかならず諸説あるも何れも確証がない
本堂庫裡等数慶の修理を経てきたと思われるがおよそ百年以上の風雪にようやく老朽化が進み改築のやむなき状態に立ち至った
よって時有財産山林三町歩余を市川総業株式会社に売却し本堂庫裡の改築を檀徒総会に於て決議即日建設委員を選任
直ちに昭和六十二年一月十三日深谷市西大沼吉田建設有限会社に本堂の新築工事を発注同年五月十七日上棟式を執行同年十一月十九日竣工をみた
つゞいて庫裡の新築工事を当初の真下製材工場に発注昭和六十三年三月三十一日に完成した
この間市川総業株式会社の寄進による鐘楼堂並びに梵鐘及び境内外柵ブロック塀等も相ついで竣工し昭和六十三年四月二十四日落慶の運びに至った
一年有余の工事中一毛の魔事なく竣工できたことはもとより本尊十一面観自在菩薩の宴鑑によるも建設委員諸賢をはじめ檀信徒各位の献身的な協力を多とするものである
昭和六十三年四月吉日

正円寺の鰐口

正円寺には、戦国時代の武将猪俣能登守邦憲が聖天社に奉納した2つの鰐口が伝わっています。
鰐口とはお堂の前に掛け、つるした縄で打ち鳴らす道具のことを言います。
表面に刻まれている年号からそれぞれ「永禄鰐口」「天正鰐口」と呼ばれています。

永禄鰐口

永禄鰐口
源信是によって、はじめ永禄6年(1563)10月に信州佐久郡伴野荘野沢郷(長野県佐久市)の医王山薬師寺に寄進され、さらに永禄12年(1569)7月に、同郷の八幡宮に再寄進されたものです。
それを天正10年(1633)小田原城主北条氏直から信州佐久郡内山城(長野県佐久市)の防備を命じられた猪俣能登守邦憲が戦利品として、持ち帰ったものといわれています。

天正鰐口
天正16年(1588)4月猪俣能登守範直(邦憲)が戦勝祈願のため、猪俣の聖天宮に奉納したものです。

~美里町教育委員会掲示より~

所在地

〒367-0115 埼玉県児玉郡美里町猪俣2146

六か寺案内